2009年11月18日水曜日

12. 癌騒動。

電話が鳴る。電話を取る。

"今、病院からかけているんだが。"
とかなり状態が悪いと思わす話し方。

どこの病院に居るの?

"セント、ルークス ホスピタル。
"

行こうか?

”いや、来なくていい。”
と言った後、

”ウエストサイド。
セント、ルークス ホスピタル。”
と繰り返す。

分かった。今から行くわ。

土曜日だったのでゼントもいた。
毎日,父親のことを聞かされているケントは,私のパニック状態を見て見ぬ振り。
内心は癌の父親がこのうちに来るのだろうか?とびくびくしていたに違いない。

私の母が後3ヶ月の命と電話をして来た時、アメリカで一緒に暮らすつもりで手術を受けた母だったから、母をここに引き取ってここで死んでもらおうと思った
私は航空券を買って、ベットを買って,車いすを買って、こちらの受け入れの準備をして迎えに行くと母に言った。結果的には全てはすでに手遅れで,アメリカを発つ前に母は危篤で病院に運ばれてしまった。
癌で死ぬ人間がここに来ると言い渡されたケントは何も言わなかった。
しかし、
私の予定は叶わず,アメリカを発つ10日前に母は危篤で病院に運ばれてしまった。
ケントは学校があるし、私はどれだけ日本に居ることになるのか皆目分からなかったので、ケントを友達に預けて、日本に帰ったのだが、こんな状況を彼はどう考えていたんだろう?
息子を友達にそう長く預けれるものでもなく、私も母と息子の板挟みになって落ち着かないので、ケントの冬休みに引っ掛ければ確実に2週間は日本に居れるので、彼の
航空券を買って日本に呼び寄せることにした。すると、母はケントの来る一日前に逝ってしまった。母は私を独占したかった。だからケントが来る前に、逝きたかった。私達はちゃんと最後の言葉を交わした。そして、母は逝った。
ケントは母のお通夜に日本に着いた。お通夜の際中となり、私が迎えにいけないので私の友達たちが空港に迎えにいった。12歳の子が一人でよくやってくれたと思う。
自分の家で癌患者の苦しみを見ながら、人が死ぬのを見なければならなかったことを考えると、一人で日本に行くことは簡単なことだったかもしれない。

しかし、今度は自分の父親だから避けれないかもしれないと思っているのかもしれなかった。

インターネットで病院を検索すると2つの住所が出ていて,どちらに行ったらいいか分からないので両方ともをプリントアウトして、急いで2人で出かけた。私は冷静なつもりでいたが,そうでもないのと分かったのは車を運転しだしてからで、ウエストに行くはずなのにイーストまで行ってしまって見つからない。イーストの59丁目をうろうろ。
工事をしている人にセント・ルークス病院は?と聞くと
ウエスト側
と言われた。
グラムは2.3年前はイーストの48丁目に10年近く住んでいたので,グラムと云えば、イーストと私の頭は単純に対応したようである。
ウエストに行く。病院を見つけた私は一方通行をさかさまに入ってしまい、タクシードライバーに指摘されて、Uターン。
ゼントは、ついに必要性を感じて、私に落ち着くようにと言った。

すぐに見つけた駐車場に車を入れ、病院の受付で、グラムの名前を言った。

そんな人は入院していない。
大きな中年の黒人の受付はつっけんどんに言った。受付というより,ガードマンと言った方がぴったりしている。

で、で、でも、本人から電話があって救急車で運ばれて入院しているというんで、彼の息子を連れて飛んで来たんです。

’いつの話しですか?”

今日の話しです。

”じゃ,向こうの病院にいるのかな。”
といって,調べてくれている。
あちこちの部署に電話してくれて、ようやく分かったのは、
Detox病棟にいるということ。

最初は怖そうだったけれど、ちゃんと説明すると親切だった。

この道をまっすぐ114丁目まで走ってください。右側にあります。
グッドラック。
と言った。

たった15分の駐車、許してくれないかなぁと言いながら、駐車場へ。
勿論,交渉したけれど、機械を通しているから僕にはどうすることの出来ないよ、と1時間分取られた。この辺りは安くない。

緊急だもんね。仕方ないかぁ。もう一回,駐車場代払いたくないなぁ。
ぶつぶつ,独り言。ケントは何も言わない。

病院を見つけ,ぐるっとその周りを走りながら駐車場もしくは路上パーキングを探した。
1ブロック先にスポットを見つけたが、停めていいのやらどうやら?
駐車違反は高いので、慎重に停めたいところだった。
ブラウンストーンのビルの前で痴話している黒人の住人に、
ここ停めてもいいのかなぁ?
と尋ねた。
”ストリートクリーニングの日以外は大丈夫。今日は週末だし、停めれるわよ。”
気のいい返事で、
病院に行くのでここに停めるわ。見張ってて。
というと、
”そうね。病院の近くにいくとスポットはないかもしれないし、ここに停めて歩いていったらいいわ。”

駐車代を今回は払わなくて済んだ。やはり、神様はいるのだ。

今度こそ、間違いのない病院の受付にグラムの名前を言うと、また、そんな患者は居ないと言われた。
私の問題点は英語力にある。
第1に、私たちはグラムは癌で入院していると思い込んでいた。
第2に、この時点に置いて私は”Detox”とは何であるか分かっていなかった。
ケントは”Detox”の意味が分かっていたかどうか?
ケントは私の英語力を助けなければならないのだが、この状況は英語力以前の問題と云うところもあった。

ここでもまた、グラムはどこに居るか調べて貰わなくてはならなかった。
この受付けもガードマンのような黒人さんである。
グラントの名を見つけた彼は、私達にここを出て隣りのビルの緊急病棟に行くように言った。

救急患者の受付。
ここには今まで会った黒人よりもっと大きくて若い強そうな黒人。しかもガードマンのユニフォームを来た人が立っている。受付ではなく、ガードマンなのだ。
グラムの名前は入院患者の中にはなく、まだ病室に移らず緊急室にいるとわかった。
その部屋は待合室の奥にあり、ドアのところにあるベルを鳴らし、患者の名前を言ったら入れてくれるはずと言った。
言われる通りにすると、すぐに私たちを入れ部屋に通した。

枕もない簡易ベットに薄い着物タイプのパジャマのトップだけを着て、毛布もなく、ただそこに寝かされているのだ。髪はぐしゃくしゃ、ひげもそっていない、手はもうここ何年が震えているので、なお惨めに見える。その上かなり痩せていた。
目を半開きにして私達を見るとグラムは凄く驚いて、

”どうしてここが分かったんだい。”
と聞いた。どうやら電話をしてきたことなど覚えていないようなのである。呆れて、

ミラクル

と答えた。ケントは笑いを堪えていた。

こんな父親の姿をケントが見るなんてかわいそうだと思ったが,すでに手遅れだ。ここは現実直視で人生のお勉強と思うしかない。
グラムは恐ろしく酒臭く、この入院が癌のためでないのは明らかだった。だからといって、癌でないと分かった訳ではない。
救急車に乗り込むときに転んで両足をひどく打ち、歩けないらしい。確かに膝は凄く腫れていて、すねには擦り傷があり、痛々しそうだった。ここに運ばれてから、ずーと検査だった、今はベットが空くのを待っていると言った。
私とゼントが来たことで感情的になって泣くので、横に腰をかけて手をこすってやった。
私は”霊気(Reiki)”を持っているので、痛いというところに手をかざした。
私はこの”霊気(Reiki)”でケントを育てたので、ケントは父親に、

”まぁ試しにしてもらいなよ。効くから”
と言った。

ケントにグラムと2人になっても大丈夫かと聞くと、イエスと言ってくれたので、私はその部屋をでて、ここで働いている人の部屋をノックしてみた。ガラス張りの部屋なので彼らが緊急患者の対応で忙しそうに働いているのはよくわかった。

”もしドクターが居たら、グラムのことで話しがしたいのです。”

というと、

”分かったわ。彼女の手があいたらそっちに行ってもらうわ。”
と親切に対応してくれた。

さほど、待たないうちに、ドクターは部屋に来てくれた。

ちょっと、話が、、、と目配せをして彼女に部屋を出てもらい別の部屋で、グラムと私達の関係を話し、グラムから膵臓癌だと昨日聞いて聞いていて、入院という電話を今日貰ってもらったので、こうして心配して来たのだ。と説明すると、

”癌?そんなこと聞いていないわ。もし癌なら、治療の仕方が違うわ。
ここには酒を抜き(Detox)に来ているだけのはず。ひどく転んだみたいなので、頭などはCTスキャンで調べたけれど、お腹の辺りは調べてないわ。血液検査をしたけれど、癌だと思わせる数値はなかったように思うんだけれど、でも、それは聞き捨てならないわね。本人聞いてみましょう。”
と、部屋に戻って、ドクターは優しい口調で、話し始めた。

”膵臓癌ってどこで見てもらったの?”

”イギリスで入院したときに、ドクターがそんなようなことを言ったんです。”

”CTスキャンを撮ったの?”

”いやぁ、イギリスはアメリカっと全く違ってシステムも貧困で、
そういった検査はしなかったけれど、医者が言ったんです。”

”そう、じゃぁ.ちゃんとした検査はしていないのね。ここで調べた数値は、これだけ酒を飲んでいるのに通常の人と変わらないものだったわ。”

ということは癌の根拠がない。膵臓癌はでっち上げ。
ここに来た収穫あり!
いくらグラムが失望の極地にいるとはいえ、同情が必要だったとはいえ、癌であるなどとよくいえたものだ!しかしこの件に関して、酔っぱらっている人間とまともに話す気はなかった。

グラムは名刺入れのような財布とそれと同じ大きさの電話(ブラックベリー・パール)とそのチャージャーをパジャマのポケットに入れて,それを握りしめていた。

ケントにメアリの電話番号が知りたい。なんとかあの携帯を手に入れないだろうか?と耳打ちした。ケントは任せてくれと言う目配せをしてこう言った。

”ダッド、ちょっと電話を見せてくれない?”

”あぁ、”

と見せた。
携帯電話の後ろのカバーがない。

”携帯、どうしたの?潰れているの?
ちょっと貸して?”

”どうやら、どこかにカバーを落として来てしまったようだな。Pのアパートかの知れないし、救急車の中かもしれない。転んだときになくしたのかも知れないし。”
と言って、携帯をまたポケットに入れてしまった。

ケントの作戦も失敗に終わった。

”明日、また来るわね。ウィークデーは学校や仕事で来れるかどうか分からないから。

”本当に来てくれてありがとう。”
といって、目を閉じた。

癌騒動でパニックになった私達は帰りの車の中で、
数値は普通の人と変わりなく、と言ったドクターの言葉を復唱して、80%まで癌ではないと確信して ”呆れるよなぁ” と話した。

”ミラクルは最高だったよ、マム”
と笑った。

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