2009年11月11日水曜日

7. 12年とは一回り。

ケントが産まれて3ヶ月した頃、私達はクレークとジュリアに彼らの弟を紹介するために車でシカゴまで走った。その時の私達の車は中古車のトウラスワゴンで猛暑で死者が出ているというシカゴに向かっていた。

”ほら見てみろ、あの車、立ち往生しているぞ。”

とグラムは言った。

そうやって人の災難を笑っていると、神様は私達に災難を下さるわよとたしなめて、5分後。

突然、エアコンがきかなくなった。どうやらガスが漏れていてなくなってしまったようだった。

ー私達と神様の関係は非常に親密である。

凄く暑かった。運転しているグラムの腕から汗は滴り落ちていた。

16時間の運転となるので途中でモーテルに一泊しなければならなかった。そのホテルのプールを見た時、私は3ヶ月の赤ん坊を抱いたまま、飛び込みそうになるほど暑かった。

グラムが私に、


”赤ん坊は部屋に置いていった方がいいんじゃないか?”


と言ったのを覚えている。

あれほどシカゴでホテルを予約するように言っておいたのに、グラムはホテルも予約していなかった。エアコンのない車に8歳と4歳の子供を乗せてホテルを探しをしなければならなかった。選んでいる余裕もなく、お陰で私は高いホテル代を払わなくてはならなかった。
この状態でも私にとって何よりだったのは、グラムの子供たちは私になついていたし、ケントをおもちゃのようにして可愛がった。私もこの子たちを可愛いと思った。
私は彼らとの関係を嬉しく思った。


ニュージャージに戻るとグラムは機嫌が悪かった。また、子供たちに逢って、昔の金持ち時代を思い出したか?私が仕事している間、カウチに座ってビールを飲んで映画を見ていた。

急に嫌みなことを私に言った。


”見てみろ。この女はお前のような嫌な女だ。”


私のグラムに対する我慢は随分前に頂点に達していた。

しかも、大枚はたいてアンタのためにシカゴまで行って、子供たちに逢わしてやったのに何様だと思っているんだと頭に来た。


”働きもしない酒を飲んでいるだけの大バカ者に言われる筋合いはないわ。”


すると、グラムは恐ろしく怒って、これは俺の自己防衛だといって私の腕をねじって私の顔をベットに伏せて、謝れと言った。

私は抵抗すると骨が折れると思ったので、抵抗をせず全身の力を抜いた。

これは効果があった。痛かったが、身体は柔軟になる。

その後、私をカウチにまで引きずっていき、上向けにして、私のクビを閉めた。

私はこうやって死んでいくんだと思っことを忘れない。

但し、身体の力を抜いてやられるままにしていたので、グラムはふと我に返って退いた。

私のような悪魔は俺の子供たちに近づいてはならないと罵ったが、もう私には触れなかった。

そしてグラムはベットルームに行って眠ったようだった。


私はリビングルームの端に座ったまま朝まで動けなかった。

一度寝て酒の冷めたグラムは人が違ったように優しい言い方で、朝方、泣き続けるケントにミルクを飲ませるようにと言った。


私はその次の日、知り合いのところにケントを連れて泊まりにいった。

怖くてとてもあの家にはいれなかった。

この時、始めて他人に自分の事情を説明して助けを求めた。

アメリカでのアル中のリハビリのシステムなどを知ったのはこの頃からであった。

多くの人がアル中との生活で苦労をしていることも知った。恥じることはないのだ。


暴力沙汰を他言されたグラムは人の忠告もあり、この出来事を深く後悔したようであった。酒をやめたい、やり直したいと週に二日、A. A.ミーティングに通いだした。

A. A.ミーティングはアル中の本人が行くミーティング、Al-anon ミーティングとはアル中を抱える家族が行くミーティング。私はそれにはなかなか行けなかった。

グラムは私が勧めた本屋で働くことに同意して働きだした。時給6ドル。時間から時間と働くようになると、それも酒のコントロールに役立った。しかも他の人と外で接するのも良かった。

グラムのこの酒を飲まない期間は結構続いた。

酒を飲まないといいこともあるもので、更生しようとするグラムの為に私達の数少ない友達も次の仕事の推薦状も書いてくれた。勿論、みんなは私とケントの生活を心配してを救ってやりたかったのだと思う。

するとNYのクラースラービルある広告代理店に送った履歴書が採用され、面接も受かって、ついに人並みな就職を決めた。

グラムは私に感謝し、出張でカリブに行った時、ダイヤモンドの結婚指輪を買って来たということもあった。グラムが帰って来るのをゼントと前庭で遊びながら待ったということもあった。

ケントが父親に向かって走っていく。そのケントを抱きかかえる。

まるで映画のようなシーンもあった。

ほんの短い期間のいい思い出も少しはある。


その頃、移民局は毎年,毎年,法律を変えた。

この年、グリーンカード待ちで滞在している私のような立場の人間は不法滞在とすると発表した。この発表後、強制送還を恐れて自ら帰った者も多かった。それが移民局の狙いで、彼らは彼らの金を使わず、不法滞在者を追い出したかったのである。私も強制送還を恐れて何らかの方法はないかと2.3人の弁護士をグラントと訪ねた。グリーンカード保持者からの申請だと7,8年かかるが、アメリカ市民からだと半年ぐらいで取れる。グラムがアメリカ人になるのが、一番の解決策だった。

そうすれば,私は一年以内にグリーンカードを貰える。

それには、3年分の税金の申告書が必要だった。


グラムはアメリカ人になることに協力的でなかった。


その理由の1つは彼の犯罪歴。

もう1つの理由は3年以上も税金の申告をしていないことだった。
犯罪歴のことはよくわからないが,とにかく、税金の申告はさせることにした。
一年分だけ2人の収入を一緒に申告した。その方が、子供の免除がおりるとか,そういった理由を会計士が言ったからだと思う。
これは私が出産した後で彼が就職していたので、ほとんど彼の収入に対する税金だったので彼が払う税金で私のではなかった。そして,私は彼が払ったものと信じていた。


それでも彼はアメリカ市民になる申請はしなかった。

この状態の頃、グラムはこの会社から昇進で別会社に移る話が来た。
そして、会社を変わってすぐにメアリとの出会いがあった。

それが12年前なのである。

メアリに出会い,その地位とパワーと彼女の美貌にぞっこんしたグラムは私の存在をゴミのように思った。
双方の立場は不倫、仕事に絡ませた関係。
グラントは自分を自分以上の人間仕立て上げて,多くの人と付き合っているから、それがばれることに恐怖感で酒を飲んだ。
酒を沢山、沢山飲んだ。

毎晩,酔っぱらって帰って来た。


ある日、グラムの財布にメアリの写真を見つけた。私は衝動でその夜、家を出て近くの墓地で朝まで過ごした。私は情けなかった。ビザで脅されて暮らしている自分が情けなかった。

あの女は地位も金もある。一体、私に何をしたいのだ?

決して負けない思った。


”俺に逆らえば、移民局に通報してやる。

メアリはFBIと通じている。”


この脅しは日増しにひどくなった。


一度殺されかけている私は酒を飲んでいるグラムには近づけなかった。

彼が帰ってくると、ケントの部屋に鍵を閉めて寝た。


私はこの時点においてグリーンカード取得以外の理由ではグラムはいらなかった。

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