どうなった?
とメールを残したが返事はなかった。
グラムを引き取らなかった私にはもう用がないのか、彼はもう連絡してこなかった。
イギリスのジョージに電話するしかその後を知る方法はないようだが、グラムを迎えたジョージのところにすぐに電話を入れるのは?と思い、アメリカ来る度にうちに来ていて付き合いのあるジョージの息子(ケントの従兄弟)のマイク(40)のファイスブックに、
そちらにグラムが行ったみたいだが、どうして居る?
とメッセージを残したが、返事はない。
グラムのことで私とコンタクトを取る気はないらしい。
ビルとキャロル、(スコットランドに居るグラムの一番上の兄とその妻)がこの夏にアメリカに遊びに来た時、グラムと一緒にここに顔を出した。その時。メールアドレスを交換したので、キャロルに何か分かったらメールをくれるようにとメールしたが、ここからもすぐには返事がなかった。
もう一件,グラムのイギリス行きを連絡するところがあった。
グラムの子供を2人持っているグラムの前の奥さん,へレン。
私が警察を呼んでグラムを追い出したのが12月17日で、グラムの子供たちから届いたグラムへのクリスマスプレゼントを渡せないとへレンに電話したのが、私達が親友となったきっかけである。へレンはグラムから聞いていたお高くとまってそうな金持ちのお嬢さんの雰囲気は全くなく、素直でオープンでフレンドリーな性格だった。
へレンはグラムとの離婚に至った話しを延々としてくれた。彼女のグラムのアル中に苦しんだ7年間の話しは私の立場を楽にした。
彼女の子供たちはケントが産まれるときから、ケントを自分たちの弟として受け入れた。住んでいるところが遠いので一緒に暮らして来た訳ではないが、家族であるという意識はちゃんとある。ケントのアメリカ名スコットはその時8歳だったクレークがつけてくれた。
クレークはグラムの父親、一番上の兄の名前,ウイリアムをミドルネームに貰い、ケントはもう少しでグラムの最良の友,すぐ上の兄のジョージをミドルネームにするところだったが、私は父の遺言で子供を産むことを決めたのだから、彼の一字を息子に渡したかった。
”人”という字である。考えて考えて見つけた名前は、英語で育つ子なので書き易い字、呼び易い音の名前,”兼人”と名付けることになった。
グラントと暮らしていたときは一年に一度は必ず彼の子供に会いに行っていた。その頃は、彼らはシカゴに住んでいた。その後、へレンは再婚し、ノースキャロライナに豪邸を購入して移住した。
彼女に連絡しない訳にはいけないのではないだろうか?
何もしていない父とはいえ、クレークとジュリアの父なのだから。
何より私はグラムのことを話す話し相手がほしかった。
へレンはグラムのことに関しては私の最良の話し相手だ。
彼女の子供たちはグラムなしで育ってしまった。
グラムはこの12年のメアリとの生活の間、わざわざ彼らに会いに行くということもなかった。彼らがNYの父親に会いに来た。その時も彼らは私のところに滞在した。一泊だけ父親のところに泊まっただけである。それも12年の間に何回あったか?
私とケントは13歳のクレークのバーメッツバに行ったが、グラムは行かなかった。
私にはなぜグラムが行けなかった理由は分かるが、13歳のクレークには来なかった父親の気持ちなど分からなかったと思う。
グラムの人生には多くのラッキーがあると私は思う。
数多くのラッキーの中で、最もラッキーなことはケントも含めて、彼の子供たちがグラムからの養育費なしに人並み以上の生活をして育っていることである。特にへレンの父親は億万長者でへレンもこの父が居なければやってこれなかったと言っている。ほとんどの学費はヘレンの父が出したらしい。
再婚したDもお金持ちだったので,豪邸に住み、生活費の少しを彼女は稼げばよかった。ただ、10年暮らしたDもアル中が理由で離婚となったというのは悲しい話しだった。しかし、2人の子供たちにはいい義父だったようである。今も相談相手をしているようである。
現在はイギリス人の彼氏、Jと縁があって、幸せな暮らしをしている。
へレンの母としての立場の意見は常に理解出来た。彼女は2人の子供にグラムという父親の存在を意識させながら育てたところは、偉いと思う。
けれど、もう子供たちは18と22、もう子供でないので、父親としてのグラムの立場を要求するのも諦めたようなところは昔よりある。
フーディ、グラムのことには関わない方がいいわよ。放っておいた方がいいわよ。自分の人生が一番大事。
かかわらない方がよいというアドバイスは有り難いが、
グラムは何かがあればここにメールや電話してくるのである。
そのメールや電話をみんなは無視しろというのか?
無視をしてグラムに何かがあれば、後悔するのは私なのであって、関わるなとアドバイスしてくれているみんなでない。
帰りたくない。私のところに泊めてくれといわれ,ノーと答え、
そして、帰されてしまったグラムがイギリスでどうして居るか気にならない訳がない。
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14 年前
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