2009年12月21日月曜日

19. 彼のソファ

月曜日の夜中のマンハッタン、イースト48丁目までのドライブは15分くらい。電話があってすぐ出たので、グラムがさほど待ったとは思えない。
しかし、彼の昔のアパートの前に着いたのに彼はいない。

”ハロー。どこにいるの


もう着いたのか。分かった、外に出る。

昔はここからバーバリーのダッフルコートを来て出てきた。
この夜は私が買って持っていったグレーのジャージーの上下で、私の黒の革のボストンバックを持って、とかされてない髪、剃られてない髭、その上足を引きずって出てきた。
救急車で運ばれた時の打ち身はまだ完治していないようだった。
もう彼は48丁目の贅沢なマンションの住人ではないのだ。全くの別人だった。

”ドアマンが入れてくれたんだ。”

”よかったわね。さほど待たなかったでしょ。”

”あぁ。来てくれてありがとう。心から感謝する。”

私はしばらく言葉がなかった。感謝されるのはうれしいが、この事態がいったいどう進展していくのか不安ではあった。

”今晩は地下のソファに寝てほしいの。私の家は小さいじゃない、だから、私たちはこの事態の準備ができないし、いつもの生活をギブアップできないし。”

”もちろん、それで構わない。十分助かる。”

”ブルースと話したけれど、ベットがないから入れないそうよ。1週間ぐらいかかるかもしれないけれど、キャンセルがあるかもしれないともいっているから、明日の朝、また電話して聞いてみる。グラム、お酒を飲んでいるとそこに入れないのよ。”

”分かっている。飲んでいない。”

飲んでいて飲んでいないと言い続けて30年なのだ。
悲しいかな。飲んでいるのである。

急いで出て来たので、冷蔵庫にあるビールを隠すのを忘れたと思った。

”今後の知識として知っておいて欲しいんだけれど、公園に行く前に、ゴミ箱をあさって新聞紙、デリなどで段ボールを確保して、持っているだけの服を重ね着したら、寒さに対応出来るわ。これはホームレスの常識よ。

たいした会話も交わさないうちに家に着いてしまった。

”ハイ、サン。”といつものように言って家に入って来た父親をちらっと見ただけで、何事もなかったかのようにコンピューターに向かっているゼント。
こんな惨めな父親を見なくてはいけない息子も気の毒だ。

”グラム,何も食べていないんでしょ。何か作るわ。


ダイニングの椅子に座った。
取りあえず、暖かいお茶を渡した。

ありがとうと言ったが飲むようにも思われなかった。

私はこの人と4年近く暮らしたが、この人の好きな物とか、何が喜ぶのかわからない。私の料理の中では手巻き寿司だけは文句を言わず、喜んで食べた。その他,一体何が好きだったろうか?私が与える物は全て不満そうだったから、仕事のない暇なグラムは勝手に自分で作って食べていた。だから、一体何を食べさせればいいのか分からなかった。
冷凍庫にミートボールがあった。これなら食べるだろうと思って作った。
その料理中にグラムに見つからないようにビールを隠した。

出来上がったミートボールをダイニングテーブルに置いた。
グラムはすぐに手を付けず、それを眺めていた。

電話が鳴った。へレンからだった。
電話を取って地下に行った。

”一体どうなったの?”

”ここにいるわよ。”

”ええ〜。”

”公園に寝ると言ったけれど寒くて寝れないと電話してきたの。連れて帰って来たのよ。”

”グラムはノースキャロライナに住んでなくてラッキーね。私なら絶対に迎えにいかないわ。あくまでも公園で寝てもらうわ。”

”ラッセル・E・バレイズデールが一応彼を受け入れているのよ。ベットの空きがないないの。一週間ぐらいかかると云われているけれど、何とかもっと早くに引き取ってもらえるように交渉するわ。

”でも、危険じゃない?グラム。”

”今、彼は私を失うと本当に誰の力も借りれなくなるから、私には従順だわ。”


”本当に大丈夫?”

”大丈夫。メールするわ。


戻って来ても戻って来ても、彼のミートボールは減っていなかった。

”食べたくなければ、食べなくていいのよ。

”食べれない。

”できればシャワーを浴びて欲しいんだけれど。”


”疲れているんだ。シャワーは今、浴びたくない。少し休ましてくれないか?”

”じゃ、下のソファーで寝れるようにしてくるわ。

私は地下にシーツや掛け布団を運んだ。
地下で作品を創り始めていたので、地下に彼をおくと仕事ができなくなるのも少し困った。
明後日はケントの学校が始まる。しかも、彼は高校に進学した始めての日。日本から戻った後,彼はアイスホッケーのキャンプやサッカーの練習、そしてこの父親の騒動で何も用意ができていない。
さすがにスケートボードで穴だらけの靴で高校生としての初日は恥ずかしいというのでそれもそうだなと納得して、明日はどうしても新しい靴をホーボーケンまで買いに行ってやることにしたが、問題はグラムをどうするかである。この状態では仕事はどちらにしてもできないだろうと思った。

”今、着ている服とか、汚れている服は明日全部洗うわ。”

その間に着れる服がうちにはあるだろうか?
私の男物の甚平を見つけた。グラムはかなり痩せてしまっているので着れるかもしれないと思った。

”ここにいる間に、ラッセル・E・バレイズデールに入る前に、Pのところに2人で行って荷物を取ってこれるといいわね。”

”Pはまだカリフォルニアで帰って来ていない。連絡してみる。
君の友達はなんて言っているんだい?”

”誰、私の友達って?”

”ブルースとかいう。”

”あぁ.明日の朝またかけてくれって。ベットが空くかの知れないしって。”

ついにブルースは私の友達になってしまっている。
もしかしたら、自分が彼に電話をかけたことも覚えていないのかもしれないなと思った。
普通の人と普通に話しをしていると思ってはいけないのだ。

メールが届いた。クレーグからだった。

— 本当は電話をしたいけれど、そこに僕の父がいるのを知っているので父が万が一暴力をふるったりするといけないのでメールにすることにした。
このところ、何度か父からメールを貰っている。そのメールで思うのだけれど、父は非常に不安定な状態のようで、特に彼の身体がアルコールを要求している状態に思われる。アルコールが切れると身体のバランスを崩して暴れるかもしれない。
どうか、直ちに父を家から追い出して欲しい。人ごみ、モールとか、消防署,警察、どこかそういった目撃者がいて,父が暴力に走れないところに父を置いて来て欲しい。どうか家に置かないで欲しい。父のことを心配して面倒を見ようとしている気持ちは分かるが、彼はかなり危険な状態だから心配でならない。
僕の父を2人の人生から完全に剥奪して欲しい。
僕は決して父にはもう近づきたくない。父がどんな状況に陥ろうとそれは彼の人生で僕は関係ない。特にフーディには全く責任のないことなんだ。関わらないで欲しい。
フーディとケントは僕にとって大事な家族だが、父はもう僕にとってはただの危険な男でしかない。お願いだから、家から追い出してほしい。
ラブ、クレーク

ジョージと全く同じで、クレーグにとってグラムは危険人物以外の何者でもないようだ。
それにしても、なんて悲しい話しなんだろう。息子が父親を見捨ててくれと私に頼むなんて。

12年前にこの危険人物を警察を呼んで追い出した私が、こうして迎えに行って連れて来たのだ。
私がその追い出した危険人物に優しくするには、3つのはっきりとした理由がある。
1)私のドアをたたいて,助けを乞う者に、それが誰であっても必要性をかんじたらNOと、私は言えない。
2)グラムは私にしたことを3年前に謝っている。それからは私に対して失礼な態度はほとんどなく、父親としてなんとかしたいという気持ちは伺える。
3)目の前にリハビリの施設に入れれるチャンスがぶら下がっている。
ここまで頑張ってブルースにこちらの事情を説明して、ついに受け入れますと言ってくれたのだ。本人もついにそこに行く気になっているのだ。12年かかったその日が目の前にあるのだ。これを見逃す訳にはいかない。
私がここで彼を見張って連れて行かなくては誰がするのだ。グラムに逃げてもらっては困るのだ。
そしてこれらの要素がグラムのミラクルを産むかもしれないと期待するのである。

地下にあるソファは彼がシカゴから持って来たソファだった。グラムを追い出してから私はガレージセールをして彼が使っていた物のほとんどは売ったり捨てたりした。
物で嫌な思い出を引きずりたくなかった。それなのにこのソファはなぜか捨てずに地下に置いた。この日のためだったのだろうか?

グラムも皮肉だなぁと言った。

そうね。きっとよく寝れるわよ。

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